Notes

人生の後半戦をどう戦うか

45歳の誕生日にこれからの働き方と体力について考えた。ずっと胸の内にあった「自活したい」という想い。AIに実装の力を借りながら自然体で生きていく。人生の後半戦について。

10月13日で45歳になりました。誕生日だからといって急に何かが変わるわけではないけれど、年齢の数字が変わるとこれからの時間について少し考えます。

人生の後半戦という言葉があります。若い頃と同じやり方で走り続けるのは難しい。体力も時間の使い方も変えていかないといけないけれど、まだ店じまいを考える年齢ではありません。やりたいことは残っています。

自活できるようになりたい。ずっと胸の内に秘めてきた想いです。サラリーマンとして働くことが悪いわけじゃないし、本業から得てきたものも多い。それでも自分の手で作った何かを届けて、その対価で生活できる状態は作りたい。45歳になったいま改めて強くそう思っています。

自分で作って自分で出し、そこから売上が立つ流れを自分の中に確立したい。

僕が作る側に回りたいと思うようになった原点は、高校生の頃にあります。ポケットコンピュータでバトルだけができるテキストベースのRPGを作っていて、周りの人がそれを何度も遊んでくれました。とても簡単なものだったけれど、自分が作ったものを通して人が純粋に喜んでくれる。そのことに関われるのは、こんなに気持ちいいものなのかと思ったし、ある種の快感に近かったのだと思います。いま思えば、あれがクリエイターとしての原体験でした。

これまでもゲームやアプリを作ってきました。作ることは好きです。ただ好きで作ることと、それで自活できることの間には距離がある。その距離を埋めることから逃げたくない。

何をどんな形で作るのかはまだ決まっていません。考えているだけで終わらせず、実際に作って出して確かめていく。格好をつけずに真面目にやりたい。

体調の良さは少しずつ貴重なものになってきました。若い頃なら一晩寝れば戻ると思っていた疲れが残り、体力も下り坂です。体力は資本だとよく言いますが、いまは自分自身が資本なのだと実感しています。体が動かなければ作りたいものがあっても手をつけられないし、気持ちがあっても集中が続かなければ形にできません。

お金や道具より先に自分が動ける状態を保たないといけない。そんな当たり前のことを年齢を重ねてから改めて考えるようになりました。そこで以前やっていたジョギングを再開しました。

まずは2kmです。普通に走れるようになったら1km足す。増やした1kmも普通に走れるようになってからまた次を足す。最終的には10kmくらいまで走れる体に戻したいと思っています。

体重も若い頃ほど簡単には落ちなくなりました。ダイエットが主目的というわけではないけれど、標準体重の近くまでは落としたい。見た目を整えたい気持ちもあります。ただこれから作り続けるための土台を整える意味のほうが大きい。

今年、庭で家庭菜園ができる家を買いました。もともとは賃貸派で、家を買うことにはあまり積極的ではなかった。けれど、老後になって今と同じ体力があるとは限りません。今できることは今のうちにやっておきたい。そう考えるようになりました。

種を植えてからは、朝に庭の畑へ行くようになりました。ある朝、小さな芽が出ていることに気づいた。命が芽生える瞬間に立ち会うと、なんとも言えない気持ちになります。

自分が新しいものを生み出すことと同じではありません。それでも、何かが生まれる瞬間の喜びはプロダクトを作ることにも少し近いのかもしれない。

この前「AIで幸せになった人はいない」というnoteを書きました。あれの逆説になるんですが、落ちてきた実装体力をAIで補えるのは大きい。AIが幸せをくれるという話ではありません。それでも以前なら時間や技術の壁で諦めていたことに手を伸ばせるようになったのは素直にありがたいと思っています。

AIが代わりに走ってくれるわけじゃない。何を作るかを決めるのも作ったものの責任を引き受けるのも自分です。それでも実装の手足は借りられる。体力が落ちていく側にとってはかなり大きな変化です。

だから今まで技術的に実現しにくかったことにも貪欲に手を出していきたい。小さくてもいいからプロダクトを作って世の中に出す。作れるかどうかを考えて止まる時間を減らし、誰かの役に立つのか面白いと思ってもらえるのかを確かめる。そういうことをもっと繰り返したい。

何者かになりたいわけじゃない。何者にもならない自然体で心のままに生きていきたい。

巨万の富も、誰かに自慢できる実績もいらない。自分が納得できるものを作り、見たい場所へ行き、会いたい人と会う。そういう生活に近づけたい。

自分の手で稼ぎたい気持ちと何者かになりたくない気持ちは矛盾しているようにも見えます。でも僕の中ではあまり矛盾していない。欲しいのは大きな肩書きや他人からの評価ではなく、自分で選んだ形で暮らしていける余地です。その手段として稼ぐ力を持ちたいのだと思います。

今年は家族で北海道へ行きました。知らない土地に行くと普段いる場所の常識が世界の全部ではなかったと分かります。景色を見るだけでも、食べるものや空気が変わるだけでも、自分の中に少し余白ができる。これからも知らない場所へ行って見聞を広げたい。

人と関わることももっとやっていきたい。地域の行事でもいいし、同じ趣味の仲間でもいい。今までは人付き合いを煩わしいとしか思っていませんでした。時間も使うし気も遣うので、ひとりで好きなことをしているほうが楽だと思っていた。

でも最近になって人と関わって生きていくことが意外と好きなんだと気づき始めました。自分とは違う考えを聞くのは面白いし、同じものを好きだと言える人がいるのも嬉しい。ひとりで作る時間は必要だけれど、ひとりきりで生きたいわけではなかったようです。

走ること。作ること。知らない場所へ行くこと。人と会うこと。人生の後半戦でやりたいことは派手な目標の一覧ではなく、こういう小さな行動の積み重ねなのだと思います。体力の衰えを受け入れながら使える道具は使い、自分の心が向くほうへ進む。

45歳のいま何者かになるために生きるつもりはありません。自分自身を資本にして心のままに作り、稼ぎ、知らないものを見て、人と会う。そのくらいの自然体で人生の後半戦を進めていきたいと思っています。

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