Notes

作った世界で右往左往する人を、見たい

2020年当時に書いた、個人開発を続ける理由のメモです。第二の収益は欲しかった。でも根っこは、作ったゲームの中でプレイヤーが右往左往するのを見るのが好きだ、ということでした。

これは2020年11月に書いたメモです。年末が近づいて本業が忙しくなってきた頃、個人開発を続ける理由を一度整理しておきたくなった。

その年は、長年コツコツ作っていた習作のゲーム「動物パニックパズル」をリリースできた。そのあとカジュアルゲームコンテストに出して銅賞をもらって、パブリッシャー契約まで結んだ。翌年出すつもりだった新作も、当時は鋭意開発中、という状態でした。

そんな中で、僕が個人開発を続ける理由を、ちょっと整理してみようと思ったんです。

僕は当時、本業でもゲームを作っていた。具体的な中身は書けないんですが、運用中のソーシャルゲームが1本、新規が1本、将来を見据えた大きなプロジェクトが1本。忙しい日々でした。

コロナでフルリモートが常態化していた。この業種の最大のメリットはフルリモートで完結できることだと思っていたので、収束したとしてもこの流れは続くはずだ、と当時は実感していました。

で、1日の仕事時間と副業の時間を、はっきり分けてスケジュールするようにしたんです。本業と個人開発を別物として考えず、同じ1本の道にあるものとして立てた。

この話を妻にしたときは、「仕事中に何サボってるの?」的なことを言われました。僕の勤務先は、しっかり仕事できているなら時間の内訳は問わない、というスタンスだった。逆に障害やバグが出たときは、業務時間外でも対処することになっていましたが。

このスタイルは賛否あるとは思う。僕は気に入っていた。子供を急遽通院させないといけないとか、平日じゃないとやりにくい公的な手続きとか、時間を調整できるからです。

個人開発も同じだった。本業をしっかりこなした上で、時間的なバッファを確保して取り組む。同じ、自由に時間が調整できる範囲の中なのですから。

本業と別に個人開発もやっていると、時間の使い方に無駄がなくなっていった。要は、仕事にもメリハリがついてきた。個人開発ばかりで本業を疎かにできないから、必然的に本業にも真摯に向き合える。

よく、副業をやると本業が疎かになるのでは、という意見が出る。肉体的な疲労を伴う副業でないなら、その影響はほとんどない、とさえ当時は思っていた。逆に、本業を疎かにして副業ができなくなってしまわないように、本業もしっかりやるようになる。そういうことでした!

個人開発で触った新しい技術は、本業にも転用できた。当時で言えば Firebase を Unity に入れたり、Google Sign-In の仕組みを入れたり。技術ブログだけでは得られない、実用的なナレッジになった。

だから僕は、できるだけ本業にも副業にも転用できる技術を優先して研究するようにしていた。家庭もあったし、独身の頃とは違って、時間の使い方を間違えるとあっという間におじいちゃんになってしまう。

転用できる、という明確な動機があると、闇雲に研究しなくて済む。無駄がなくて効率的だった。

で、誰もが最初に思う理由だ。僕が個人開発を続ける最大の理由は、第二の収益源だった。

動物パニックパズルを出して、この市場がかなりのレッドオーシャンだということは肌で感じた。それでも、僕ができることは個人でゲームやアプリを作ることだけだ、と思っていた。

当時は第二の収益源と言える稼ぎではなかった。1作目の収益は振るわなかった。それでも腐らず次を作っていた。まだ XD の段階で進みは遅かったけれど、翌年の夏までには出そう、と画策していました。次作はマネタイズと広告、プロモーションを前提にしていた。

マネタイズも広告もジャンルも、ビジネス上の懸案はいろいろあった。でも結局のところ、僕はゲームを作るのが大好きだった。これに尽きます。

なぜ好きなのか。面白いゲームを作りたい、有名なタイトルを排出したい、というより、僕が作ったゲームの世界で右往左往しているプレイヤーを見るのが好きだったのです。

これは中学・高校の頃、RPGツクールで作ったゲームを友達にプレイさせて、その反応を想像しながら作り、実際にその反応を目の当たりにしたときに、はっきり感じた感覚でした。

その感覚を、また感じたいと思っていた。

僕のゲーム開発の動機の根底にあるのは、そこだと、当時は断言できた。その上で稼げるなら、好きなことをしてお金をもらえる構造になる。我が人生に一片の悔いなし、と言えると思っていたんです。

当時の悩みは、ゲームをプレイすることは好きなのに、プレイしていると UI やシステムの実現方法を考えてしまって、純粋に楽しめなくなってきたこと。悲しいところでした。

僕は純粋に、サービスやゲームを作ること、ひいては作品を作ることが好きだった。人が遊んで楽しいと思えるゲームを作って、そこで右往左往する人々をニヤニヤしながら観察したかった。その上で、しっかり収益も得たい、と。

ゲーム開発が好きだから、おじいちゃんになってもプログラミングしていたいし、絵も音楽も作っていたい。生涯現役でクリエイターでありたい、と思っていた。

ゴチャキャラで有名な First Queen シリーズを作った呉ソフトウェアの呉じいさんは、当時68歳だというのに現役のプログラマーだった。僕もそうありたい、と思っていた。

そのために、まず次の作品を作って収益性を確保し、ゆくゆくは法人を立ち上げたい。大きな会社を作りたい欲求はなくて、あくまでスモールビジネスという形でやりたい。当時は、そう考えていた。

安定した収益を挙げられるまでは、当時の本業もやる。それが時流に則した働き方なんじゃないか、と思っていた。

1人でもビジネスとして成立させる土壌はある、とも思っていた。従業員を極力抱えないことで、リスクを下げられる、と。

いろいろ並べてみましたが、つまるところ、好きで作って、できれば稼ぐ。作った世界で右往左往する人を、見たい。当時の結論は、そういうことです!

Notes 一覧へ